K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

我が肉体の特徴を考える

朝から買い物に出かけて、帰ってきたのはすっかりと暗くなった夕方過ぎ。
予定していたものをすべて買い揃えることはできなかったが、だいぶイメージが固まってきたので、今週中には一通りの環境構築を完了させてしまいたい。
それにしても、非常に疲れた……今週は外出が続いているから体力が回復できなくて大変だ。

 

身体を動かすことは嫌いではないし、運動自体は身体が鈍ってさえいなければ得意ですらあるのだけれど、いかんせん基礎体力の低さが致命的な欠点となって、私の日常的な活動能力を抑え込んでいる。
近頃は5km程度の散歩(超早歩き)など多少の身体活動を生活に取り入れ始めたから、先月の同時期と比べて幾分か健康体に近づいたような気がしている。しかしそれでも、外出頻度が激減する前と比較したら圧倒的に活動エネルギーは減少していて、うっかり一週間でも習慣をサボってしまえば、みるみるうちに痩せていくのだから生きるのは一筋縄ではいかない。

細腕で重い荷物を運ぶことは私にとって何よりも苦戦を強いられる肉体労働の一つで、かつて上司に運んでくれと頼まれた段ボールたちは私の筋肉をことごとく傷つけていったし、今日も自分の荷物とはいえ一般的な人間よりも腕を酷使する羽目になり、明日は確定的に筋肉痛だ。
一口に労働力と言っても、頭脳労働と同様に肉体労働にも個人差や向き不向きが大いにあるのだから、そのあたりの考慮があれば多少は労働行為に対して前向きになれたのに、と思わないでもない。

小学生時代は毎年リレーの選手に選ばれるほど足が速く、走り高跳びをすれば同級生よりもずば抜けて高いバーを越えることに成功し、高校時代には陸上部にスカウトされたこともある。実際には帰宅部を満喫してしまったわけだが、ともかく私は脚力には自信がある。あった、というのが正確なところかもしれないけれど、見るからに貧弱な上半身と比べれば、ふくらはぎから腹筋あたりまでは相当に引き締まっていて、相対的に悪くないポテンシャルを持っている。
標準体型からはかけ離れている分、全国平均的な意味合いでは「細い」に分類されると思うが、私の身体の中では十分に「太い」のだ。

一方で大胸筋や二の腕は、悲しいほどにみすぼらしい。月並みな表現では、ほとんど骨と皮みたいなもので、これで健康だと言い張るのには若干の恥ずかしさを覚える。人間の視線は基本的に上半身に集まるものだから、私は誰に見られても細身だという印象を、少なくとも今後十年は抱かれ続けることだろう。
でも仕方ないのだ。下半身は歩行するだけで自然に一定レベルの筋量を維持できるのに対して、上半身は意識的に使う機会を設けない限り、最低限まで衰えていってしまうものなのだから。
ここしばらく体幹を鍛える運動を続けているけれど、腕立て伏せなどのように局所的な負荷をかける筋トレは、どうやら趣味にするのには難易度が高い。耐えるよりも先に、心身が負けてしまう。

年を重ねることで代謝が落ちれば、自然と体重が増えて腹に肉が付き、迫力のある体型になっていくというのが通説らしいが、私の体質がそれに当てはまるのかどうか、注目ポイントではある。
きっと死ぬまで痩せ型のままだろうと、私は予想しているが。

 

少しニッチな話になるが、腹筋を鍛えるようになった成果なのか、このところ腰回りの形状がとてもよい。よい、というのは、なんというか、妙なエロスを感じるのだ。
自身の身体に興奮するなんて冗談みたいな現象だけれど……絶妙に割れた腹部と隆起した筋肉、鼠径部から骨盤(腸骨)の突起、そして具合のいいくびれ。もはや芸術の領域に一歩を踏み込んでいるのではないかと思えるほど、それは意外にも美しいものに感じられるようになった。
惜しむらくは、肋骨の浮き出た線が露骨すぎることだ。それが控えめでさえあれば、むしろ魅力を倍増させる要素にもなり得るのだけれど、今の私の場合は骨の主張が強すぎて、ちょっと残念な感じになっている。
腹筋上部から大胸筋にかけての厚みがあと少しでもあれば、というところなので、腹筋を鍛え続けることで改善するかどうか。結局、理想に近づくには上半身の筋トレも必要なんてことになったら、面倒ではあるもののモチベーション的には嬉しいことなのだろうか、などと考えるけれど、健康面とは関係のないところで、そこまでして肉体の質を高めることにいったいなんの意味があるのか。答えの出ない疑問だと思う。

ああしかし、美貌の追求という考え方の一端が、ほんの僅かに理解できたような気がする。