K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

また運動を忘れている

少しずつ新しい生活の「形」が決まってきたのはよい傾向だなと思うのだけれど、家の中のことで精一杯で、だんだんと運動不足ゲージが溜まっていっている気がする今日この頃。
前の住処では散歩コースが決まっていたので、ちょっとした運動のために散歩をしようと思えば気軽に歩くことができた。今は土地勘がないので、駅までの慣れた道以外だと迷ってしまいそうだ。

 

基本的には広い通りが多くて、歩くには快適かなと思える雰囲気ではあるけれど、いかんせん信号の多さが気になる。
大通りばかりということは、つまり自動車の交通量が多いということだ。当然、歩行者の信号一回当たりの待機時間が長いわけで……運動のための散歩をするにあたっては、できれば停止したくないため、極力信号を避けるルートを選択したいところ。
Googleマップには信号までは載っていないから、自分の足で確かめるしかなく、これも試行錯誤が必要になりそうなので大変に面倒くさいのだが。

ジムのチラシが入っていたので、軽く目を通してみた。しっかりした運動を習慣づけるのなら、一考に値するのではないかと思ったのだけれど、まぁちょっと高いかなという感想が最初に出てくる。出不精かつ、コミュ障というかコミュニケーション面倒くさがりの私が、わざわざそういう機関でサービスを存分に享受できるかというと、どうしても疑問符が付く。
頑張っても月に二、三度が現実的だろうし、他の出費に頭を悩ませている現状では論外だ。チラシを目にしてから十秒と経たないうちに、そんな結論に行きついた。
仮に、施設を利用して本格的に身体を動かしてみたいという欲求が出てきたとしても、それは恒常的に精神を支配するようなものではないはずだから、都度利用料を支払う方式で何も問題はないだろう。

室内で時間もかからずできるストレッチは九月下旬頃からずっと続けているけれど、若干の変化が日々表れているのがわかる。本当に少しずつではあるけれど、確実に以前よりも身体が伸びる。柔らかくなったという実感がある。
I字バランスができるようになるまでは、まだまだ全然足りないし、はたして構造的に私の肉体で可能な体勢なのか、ずっと疑ってはいる。それでも、初めは足のつま先に手が届かないレベルであったことを考えると、一か月強で足を掴めるようになったというのは大きな進歩なので、今後もマイペースに続けていけたらいいと思っている。

運動のことを考えるのは悪いことではない。ただ、肉体の維持には食事も不可欠なので、その点については昨日も書いたように、日々改善していかなければならない。
食事を優先として捉えている現在は、だから多少は運動が疎かになっても仕方ない時期だったのかもしれない。
もう少し……この「もう少し」というのが具体的にどのくらいなのかは、安定した指標がないため非常に曖昧な言い回しではあるけれど、体感的な話でそれほど遠い未来でもないという感覚だ。まぁ長くても年が明ける頃には、一定の「形」が出来上がっていることだろう。
いつまでも方針が定まらず、あてもなく彷徨しているような生活は、流石に気分が晴れない。既に、なんとなくで決まってしまった部分もあって、定着早々に改善点がないわけではないので、「もう少し」勢いではなく冷静に考えていきたいところではある。
生きるのは難しいという事実に、当たり前のように直面している私だった。