K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

格差

なんの話というわけではないのだが、差が生まれることに不満を抱く人間は多い。生きていたら誰だって経験することだし、当たり前の現象なのだから、いちいち気にしていたらストレス耐久値がいくらあっても足りない気がするのだが、目の当たりするあらゆる非理想的な現実に対して愚痴愚痴と文句を垂ららずにはいられない……Twitterを見ていたら、そんな人間をよく目にする。

 

たとえば……これは抽象的な一例だが、一定の条件下で勝負事が行われるとして、互いの戦力に大きな隔たりがあるとする。
一方にとっては、明らかに勝ち目のない戦いだ。本来は公平な条件で行われているはずなのに、どうしても不公平感を覚えてしまう。
これがトランプのようにランダムで配られる手札で戦うゲームなら、単なる運ゲーという話に変わってくるけれど、各々が用意できる資産と時間によって準備することが可能な場合、それは勝負に費やす純粋な熱量の差と言い換えることもできるだろう。
つまり、よくよく考えてみれば不公平でもなんでもないのだ。

もちろん、人生というのは初めから全人類が等しいものではない。バラバラだ。
生まれも育ちも違う。そこで生じる格差は受け入れるしかない。
しかし、ここで言いたいのはそういうことではないのだ。用意された戦場において、十分に備える期間が与えられて、満を持して戦う場合……運も多少は絡んでくるけれど、ほとんどは実力によって結果が生まれると考えていいだろう。
そこで勝てないからと不平を言うのは、お門違いなのではないかと思うのだ。

かく言う私も、必ずしも勝てるわけではない。人生という舞台では、そもそも勝ち負けで決まる事象がすべてではないから微妙なところではあるけれど、どちらかと言えば負けのほうが多い気がするし、上に挙げたような公平な戦いにおいても意味のわからない敗北を喫して文句を口から発することは、まぁたまにある。
ただ、負けを不満に感じたとしても、わざわざ公の場で惨めにも暴れるくらいなら、そういうものだろうと受け入れたほうがずっと気楽だし、幸福度の維持に繋がるように思う。
もし納得がいかないのなら、戦いに参加しないという手段もあるのだから。

 

偉そうなことを書いた気がする。
圧倒的な戦力差を前にして、勝負にならないと嘆く者の気持ちを、私は知らない。
何かエネルギーを注ごうと思える物事に挑むにあたって、私は勝つための道を追究することが普通だと思っているから、いざ戦いが始まってから一切の勝ち目を作れないなんてことが、まず発生しないのだ。

準備不足で現実に打ちのめされて、文句ばかりの人間……いやはや普通に考えたら、頭が足りていないだけではないか。