K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

逆転すると安定する不思議

早寝早起きの規則正しい生活リズムを送ることは、ある意味で理想であり社会的正義でもある。
寝起きのリズムには個人差があるから、それを自然に身体が受け入れて難なく模範的な生活を営めている人もいれば、夜になかなか寝つけず早朝に苦労しながら布団から起き上がっている人もいて、世の中が個人に課す時間的束縛というものは不公平だなぁと思わないこともない。
私はすっかり社会不適合者側の生活に馴染んでしまったから、もう真っ当な人間として外を堂々と歩くことはできないし、元に戻るつもりもない。

 

朝に起きて、午前中から夕方にかけて活動を行い、夜に眠る。それは幼い頃から身体に教えられてきた、普遍的な生きるためのパターンだ。
幼稚園や保育園、小学校から大学、社会人に至るまで、基本的には全員が同じような時間帯に活動することになっている。社会とは、そういうものだ。
一見、レールから外れた人間であっても、たとえば外に出かけて何かしらの店でサービスを受けるためには、その規則に従う必要がある。

不思議なのは、それだけ長い時間をかけて身体が覚えてきたはずの「正しい」生活リズムを、私の身体はストレスなく実行できないことだ。
寝て、起きる。ほとんど毎日、生命維持のためには欠かせない一連の流れであるにもかかわらず、決まった時間の就寝と起床に慣れることはない。
時間を守らなければならないという外的強制力さえなければ、放っておいたら徐々にズレていき、いずれは規則なんてものが消え失せてしまう。
昨年末から少しずつおかしくなり始めた私の生活は、もはや原型を留めていないのだ。

こうして、あらためて生活リズムについて考えていくと、特に時間による拘束がない生き方を選んだ場合、相当に強い自制心がなければリズムを保てないのだとわかった。
ただ一つ、最近の私について当てはめてみると、少しばかり妙な事態に陥っていることに気づく。
夜に眠れなくなり、布団に入る時間が早朝から昼へと移っていったのが先週の半ば頃だったのだが、その後は比較的安定して同じような時間に起きることができているのだ。
完全なる昼夜逆転と言ってもいいかもしれないが、夕方を過ぎた頃に目が覚めて、再び横になるのは正午の少し前。時計を12時間表記にすれば、正常な人間と比べても違和感がなく、規則的な日々を過ごせていることになる。
以前はかなり苦労していたはずの「毎日同じ時間」の行動を、意図せず実行できているのだ。これは主観的には、考えれば考えるほど奇妙な話で、特に心身への負担を感じているわけではないし、どうして実現できているのか、まるで意味がわからない。

 

このところの変化で、思い当たる要素がないわけではない。
何度か書いているけれど、少し前に相性の良い配信者を見つけたのだ。その人が配信を開始する時間は24時前後であることが多く、そして配信が終わるのは朝方であるため、私の生活リズムもその配信に寄ってしまっているという事情は否定できない。
ほぼ毎日、決まった時間に何かをする。それは、外部に行動を制限されることのない私にとって、数少ない「用事」となっているのかもしれないのだ。
そして、それが嫌なことではなく、好きで見ていると感じているからこそ、そこに合わせた睡眠時間の修正が自然な形で行われる。

これは悪くないヒントを得ることができた可能性がある。
もし今後どこかのタイミングで、一般的に正しいとされている生活リズムが求められることになるとしたら、主体的に望んで取り組める活動を午前中に限定して設定すればよいのだ。
やりたいことをこなすには、早起きする必要がある。そうなれば逆算して寝る時間を早めることができるし、目的のためには無理なく受け入れることができるだろう。
まぁこれは仮説から膨らませた理想的妄想であるため、上手くいくとは限らないけれど、ただ闇雲に早寝早起きに努めなければ……と頭を悩ませるよりは、ずっと負担は軽くなるだろう。