K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

走れない

一昨日の深夜から昨日の早朝の間に、例によって「運動」を実施したのだけれど、今回は普段のファストウォーキングから趣向を変えて、走ることにしてみた。
中学や高校の時分には毎年、冬に長距離走が取り入れられていたから、走る行為は体育の一環として日常の一部だった。しかし、大学では体育の授業を履修しなかったし、卒業後は運動の機会も非常に限定され、そもそも滅多に走ることなんてなくなってしまったのだ。
そんな私が急に走ったらどうなるか……結果は、想像を遥かに下回るパフォーマンスだった。

 

私は定期的に、かなり速いペースで歩くことを習慣にしているため、まったく運動をしていない足腰ではない。
とはいえ、歩くことと走ることは根本的に性質の異なる移動手段であって、当然ながら必要とされる筋肉も違う。
なんとなく頭ではわかっていたはずなのに、痛い目に遭わないと本質的には頭が理解してくれないらしい。
走り始めてから数分、脚が痛みを訴えだした。いつもと同じ散歩のコースだけれど、こんなにも長かったのかと、つい弱音を吐きたくなるくらいにゴールまでが遠く思えた。
太ももから臀部にかけて、走りを維持するために求められる下半身の筋肉が悲鳴を上げている。5kmちょっとの道程のうち、まだ1kmも進んでいないくらいで勢いを止めざるを得なくなった。

多少、息は上がっていたが、肺活量の問題ねはなかった。まだ呼吸は限界まで乱れていない。酸欠というわけでもなさそうだ。
しかし、脚がほとんど一瞬で限界に到達した。通常の歩行では使用しないであろう筋肉たちが、久しぶりの稼働に震えている。すぐさまウォーキングに切り替えなければ倒れてしまいそうなくらい、露骨に疲労が溜まっていくのを実感した。
ああ、走れない。過去のランニング経験において、これほど強烈に脚が動かせなくなったことはなかったものだから、いったい身体に何が起こっているのか理解するまで時間がかかった。私の肉体は、自分で思っている以上に弱っているのかもしれない。

休み休み、走るのをやめて歩みを進めつつ、ある程度まで回復したと思ったら再び脚を懸命に動かす。そして30秒くらいで無理になって、また極端にペースを落とす。
その繰り返しで、なんとか家に辿り着いた。タイムは5.2kmを36分弱という、微妙な数字になってしまった。好調な日にはファストウォーキングだけで39分を切ることができるのだから、頑張って走ったというのに3分しか短縮できていない。
歩く能力は高いが、走る能力は小学生にも劣るレベルで下がっている。それが紛れもない現実なのだと思い知った。

 

今後も定期的な運動に走りを取り入れるべきか悩ましいところなのだが、思い返せば三か月ほど前、久々にウォーキングを始めた時も道中で胸が苦しくなり息が上がって、それから一週間は筋肉痛に苦しめられたものだった。
もし走りに関しても同様だとすれば、次回は若干マシな動きができる可能性だってある。今回が生涯で最も最悪な走りで、ここからは上がっていくだけ。ポジティブに捉えるなら、そういうことになるだろう。

別の原因を考えてみるが、あの日の日記に書いたように、エネルギーが不十分だった気がしてならない。
というのも、歩くだけなら誤魔化せても、走るとなると本格的に栄養を身体に溜め込んでおく必要があるのかもしれないのだ。
細すぎる痩せた身体には、おそらく燃料となるグリコーゲンが十分に貯蔵できていない。
平均的な人間と比べたら、自分で言うのもどうかと思うが入院を推奨されても不思議ではないくらい、私は極度に痩せている。
だからこそ、走る前には糖質を摂っておく必要があった。歩くことと走ることは別の運動なのだから、同じ感覚で考えてはならない。そんなことも、わからなかったのだ。

ラソンランナーは細身の人間が多いけれど、彼らは効率よく走りにエネルギーを回せる身体が出来上がっているのだろう。
また、トレーニングを重ねて脚の筋持久力を高度に鍛えているはずだ。外見に大差はなくとも、数分でバテる私とは筋肉の質が比較にならない。
この考えが合っているとすれば、私も試行を重ねて身体を走りに適した形に変えていければ、そして筋肉を作り変えていければ、数kmくらいなら走りを持続できるようになるのではないだろうか。

とにかく今は「普通に」走ることすら困難なのだ。これほど自らの動作に不自由を感じることは、かつて一度もなかった。
ラソン大会に出ようなんて思うことはないけれど、これでは人生に支障が出かねないので、せめて以前と同じ水準の運動能力くらいは取り戻したいと思った。